猿江神社




猿 江 神 社 の 御 由 緒




源頼義・義家(八幡太郎義家)父子による奥州遠征にて、 数々の奉勝を立てた家臣に『猿藤太』(さるのとうた)という武将がいた。 武勇の士と讃えられた人物であったが、此の地の入江で力尽きてしまった。

これを知った地元の漁師達が手厚く葬り、当社の境内に塚を建て祀った。
此に因んで猿藤太の「猿」と入江の「江」の字を取り結び 「猿江」の社名になったと伝えられる。




神社としての正確な創立年代は不詳であるが、 康平年中(一〇五八)頃には近在の信仰を集め、稲荷社として境内地三百余坪を有した。 築九十年を迎える、都内でも最古級の鉄筋コンクリート造りの御社殿は、 旧社殿が関東大震災にて焼失後、昭和六年に再建された。

東京大空襲にて、近隣一帯が灰燼に帰した時も奇跡的に難を免れ、 錦糸町の駅からは一面の焼け野原に建つ御社殿のみが望めたという。
昭和二十一年に伊勢大御神を合祀し、社名を猿江稲荷神社より改称。
一千年以上の歴史をもつとされる由緒深き神社である。


猿 江 神 社 境 内 の お 社




藤森稲荷社

江戸時代初期には幕府の、明治時代には宮内庁の御用材蔵に祀られ、 四百年余に渡り木材作業に従事す人々の厚い信仰を享けてきた神社である。
藤の木で囲まれ毎年花の咲く時期に祭りが行われていた事から藤乃木を祀る「藤森神社」と称され、 これらの縁起により木材作業・建築工事関係の信仰が篤い。
平成十三年に区の有形文化財である石水盤(貞享三年一六八六)・ 石燈篭一対(弘化五年一八五八)と共に当社境内に遷座される。

北向稲荷神社

御祭神は宇迦之御霊神と保食神の二柱。 保食神はすべての食物を生み出した神で、宇迦之御霊神とも同一視されることもある。

神社としては珍しく北の方角を向いており、 塞ノ神(さえのかみ)として鬼門の災いから御本社を護ると伝承され、 道行安泰の神としても古くより信仰されている。

芸事・技能向上『匠守』を授与

馬頭観音社

創立不詳、霊能者の告言により境内にて掘り出された。
刻印の上に馬の絵が彫られ馬方の絵の石と併せた 大小一対の珍しい石碑で、研究者からも注目されている。
勝機向上・ペットの無病息災祈願のご利益もあり、 馬に関わる事から競走馬関係者の参拝も多い。

人生・勝負に勝つ『勝守』を授与